■秋田県

新潮社と記念文学館
 

みちのくの小京都と呼ばれ、雅な文化と武家町の風情を保ってきた角館。明治の初め、この地に近代日本文学を支えた人材が生まれた。新潮社を創設した佐藤義亮、画家・歌人として活躍した平福百穂、明治期の流行作家田口掬汀である。佐藤は上京して明治29年(1896)18歳で「新声社」を設立した。4年後に田口が入社、小説の力量を認められるようになる。平福は東京美術学校で日本画、洋画を学ぶ。彼も明治34年(1901)新声社に入り、雑誌や本の挿絵を描いた。後に斉藤茂吉の知己を得て文学的才能も開花、アララギ派の歌人となった。
佐藤は数年後、経営不振に陥った新声社を手放すが、明治37年(1904)再起を果たし新潮社を設立した。その後多くの文学者を育て、事業を伸ばして一流の文芸出版社に作り上げた。平福は昭和2年(1927)に創刊された岩波文庫の装丁を手がける。正倉院鳥獣花背方鏡から図案化した唐草模様の表紙は、80年間も変わらず人々に親しまれるものとなった。
新潮社記念文学館、平福記念美術館を訪れて、近代日本の芸術に浸るのも角館の楽しみ方といえよう。



秋田を散策する時、訪れてみたいのがミュージアム。近代の美術に貢献した秋田ゆかりの人々がいる。平野政吉美術館は、藤田嗣治の収集有名な美術館。秋田市の米穀商・質店に生まれた美術好きの平野政吉は昭和の初めに藤田と知り合う。秋田に半年間招くなど交友は長年にわたり、大壁画「秋田の行事」を始め壮年期の名作を多く所有し、後に公開した。

 

赤れんが郷土館内部
赤れんが郷土館
 

赤れんが郷土館は、明治末年に完成した旧秋田銀行。当時の秋田県技師山口直昭が設計したルネッサンス風の堂々たる建物で、内部もバロック様式の装飾が素晴らしいもの(内部の設計は星野男三郎)。人間国宝の鍛金家関谷四郎、秋田の自然や風俗を版画にした勝平得之の作品が見所。近くに竿燈や土崎港祭りの曳山、梵天などを展示した民俗芸能伝承館もある。
秋田ならではの美を探して目を楽しませるのも冬のいい過ごし方だ。