■青森県


青森県でりんごの栽培が始まったのは明治8年(1875)、内務省から3本の苗木が配布され、県庁の構内に植えられてから。菊池楯衛は西洋りんごが青森に適し、将来性があると見抜いて栽培技術を広めた。ところが1880年代後半から病虫害が多発。西南日本の各県がりんご栽培から脱落していく中、外崎嘉七は袋かけや殺菌剤のボルドー液散布の普及に努めたほか、従来の樹形を変える剪定法をとる。

 

日本一の古木りんご樹
岩木山とりんご
 

嘉七が狂ったという噂が飛ぶほどだったが、対策が効を奏して危機を克服したのだった。戦後になると青森県では次々に新品種を開発、陸奥、世界一、つがる、北斗などを誕生させ、当時青森県にあった農林省園芸試験場東北支場で育成された、ふじは特に人気を得た。130年間、青森の人々が病虫害と戦いながら栽培してきたりんごは日本一の生産量を誇り、世界一の品質といわれるまでに育ったのである。




青森県では三内丸山を始め、縄文時代の遺跡が多く発掘され、縄文社会の豊かさに人々の目が開かれることになった。八戸市の是川遺跡やつがる市の亀ヶ岡遺跡は3000年ほど前の縄文晩期のもので、出土品の芸術的、工芸的に卓越した技術から「亀ヶ岡文化」と呼ばれている。
是川遺跡は1920年代から発掘が行われ、膨大な出土品が発見された。遺跡の一角には八戸市縄文学習館があり、出土品が収蔵・展示されている。

 

復元された縄文の家(八戸市縄文学習館)
漆塗りの注口土器
 

精緻でデザインに優れた縄文土器や遮光器土偶のほか、木製の容器や弓などの植物質遺物がある。
そして、最も注目されるのは、出土品の中に籃胎漆器(らんたいしっき)など高度な漆工技術を駆使した製品がたくさん含まれていることである。それらは、現在わが国の代表的な伝統工芸である漆の技術の起源が縄文にあることを教えてくれる貴重な発見でもある。
縄文文化のエッセンスはどのように受け継がれてきたのか。それを探しに博物館に足を運んで見るのも興味深い。