■福島県



会津では水揚げされた鰊の干物を「にしん」と呼び、生の鰊を「かどいわし」と呼ぶ。四方を山で閉ざされたこの地方では、海の幸といえば、昔は馬や荷車で運ばれてくる保存のきく干しものだった。そのため、にしんや棒ダラなどを材料にした料理が会津に暮らす人々の知恵から生まれた。
にしんを使って作る料理の代表的なものが「鰊の山椒漬け」だ。山椒漬けは、しし漬け、酢漬けとも呼ばれ、田植えの終わったころ、五月半ばがつくるのにもっとも良い時期。山椒の風味がちょうど良くなる季節と重なっている。
つくり方は、にしんを米のとぎ汁につけてもどしたあと、よく水洗いして骨、うろこをとり除いておく。

 
鰊鉢(会津本郷焼)

にしん鉢に、山椒の葉をしいてにしんをならべていき、これを交互にくりかえして、酢、醤油、酒を合わせた漬け汁をかけ、重しをしておく。1、2週間でおいしく食べられる。
にしん鉢は、ならべたにしんの長さにつくられている。角形でシンプルなつくりの会津本郷焼だ。会津若松市の隣町、会津美里町(旧会津本郷町)で焼かれるもので、その歴史は古く縄文時代にはじまった。江戸時代に瀬戸の陶工を招いて製陶させたことから、つぼ、茶碗、皿、鉢などの日用雑器が焼かれてきた。
にしん鉢は、かつてはどこの家庭にもある日用雑器にすぎなかったがいまではたいへん高価なものになってしまった。




会津若松から大川沿いに南へ行く道も日光街道と呼ばれる。会津若松と日光街道の今市とを結んだ会津西街道は、東北の諸大名が社参にあたって通った道である。この途中に現在も50戸、約190人が暮らす山村、大内宿がある。街道を挟んで両側に整然と並ぶ民家は、大半が茅葺きの半切妻造り、寄棟造り。300年前の江戸の名残を今にとどめている。
元禄4年(1691)、大内宿にはすでに66戸、351人が住んでいたと記録にある。
本格的な旅籠が並ぶ宿場ではなかったが、大名や公家が泊まる本陣、脇本陣があり、 年間10万俵を越える廻米もここを通った。馬子や人足を使って荷を運び、どの家もその駄賃でうるおっていた。

 

明治に入り、あらたに面川、上三寄、湯野上などを結ぶ日光街道が使われるようになると、大内宿を通る旧道は寂れる一方となった。とり残された山村の宿場は、村人たちの意志で保存を決め、昭和56年(1981)に国の重要伝統的建造物保護地区に選定された。