■宮城県


 

 
 

その歴史は古く、神社の宝物として大切に保管されている「白鳥明神縁起書」によれば、景行天皇の時代(西暦123年)に勧請されたと伝えられる白鳥神社。ここには古代英雄物語の主人公、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が祭神として祀られている。尊は景行天皇の皇子で、熊襲征伐に続き東夷征伐に派遣され、これを鎮圧した。しかし帰途、伊勢で亡くなり、その霊は白鳥となって東北をめざして飛び去ったといわれている。
村田町にも尊が東征の際に陣を敷いたとされる地があり、その場所に社を建てて祀ったのが白鳥神社の起源であるといわれている。こうした日本武尊にまつわる伝説は、大和朝廷の国内統一と深く関わっているが、一方で、素朴な動物信仰や動物観に基づいて、この地方では昔から白鳥を大事にしてきており、白鳥を神の使いとして信じ、その気高い姿を敬った。




天平15年(743)、仏教を篤く信仰していた聖武天皇は、大仏造立の詔を発布し、金銅(銅に鍍金=金メッキ)の盧舎那仏の造立を始めた。しかし、当時、金は輸入に頼っており、大仏に鍍金する膨大な量を入手できる見込みはたっていなかった。
金の不足で大仏の完成が危ぶまれるなか、天平21年(749)陸奥国守百済王敬福が小田郡産の金(砂金)900両(約13キロ)を献上した。

 

天平ろまん館

黄金山神社
 

この日本初の産金を天皇は大いに喜び、年号を「天平」から「天平感宝」と改元したほど。献上された金により大仏は完成へと導かれ、天平勝宝4年(752)に大仏の開眼供養の儀式が盛大に行われた。
この小田郡の産金地が現在の涌谷町の黄金山。黄金山山地には産金を記念した仏堂が建立され、その後産金地の拡大とともに、金は陸奥国の特産物となっていく。涌谷の産金は日本黄金文化の出発点であったと言える。