![]() 今のように陸上交通機関が発達する以前、荷物を運ぶ手段は船だった。江戸時代、最上義光らにより航路が開かれた最上川は、たちまち主要な輸送路となる。一方で、村山盆地の最上川流域では、気候が紅花の栽培に適したことから、盛んに生産された。元禄の頃には、盆地内の3分の1が紅花畑だったともいわれる。 |
![]() 谷地のおひな様は年中見ることができる。 |
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この紅花は最上川を酒田まで下り、西回り航路で大阪・京都へ運ばれた。行きの船には紅花のほか、米・大豆・青芋・煙草などが積まれ、帰りの船には雛人形や仏像、茶、古着などが積まれてきた。 |
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![]() 山居倉庫 |
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江戸時代、西の堺、東の酒田と言われるほど繁栄した湊町、酒田。当時は酒田36人衆と呼ばれる商人たちが町の世話役として活躍した。廻船問屋の鐙屋もその一人で、現在の「旧鐙屋」を訪ねると、豪商の暮らしぶりが伺える。石置杉皮葺屋根の典型的な町家造りで、当時の生活用品が展示されている。 |