



小説「津軽」の舞台を旅する
『走れメロス』『人間失格』などで知られる昭和の日本を代表する作家・太宰治は、青森県北津軽郡金木町(現在の五所川原市)出身。県内には五所川原市を中心に太宰が中学時代まで過ごした生家「斜陽館」や、幼いころよく遊んだ「芦野公園」、学生時代に下宿した旧藤田邸「まなびの家」など生まれ育った土地ならではの太宰ゆかりの観光スポットが数多くあります。
太宰が津軽を旅し、「ふるさと」を再発見する小説 『津軽』に登場する竜飛岬や観欄山などには文学碑が 建てられています。小説を手に、旅の行程を追体験して みるのも、読む楽しさをより深めてくれます。

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明治の大地主だった太宰の父が建てた豪邸。
太宰が中学時代まで過ごした生家で、直筆原稿や愛用品などを見ることができます。



「百万人の作家」が過ごした町
石坂洋次郎が戦後まもなく発表した『青い山脈』は、新たな世界への期待を描き、傷ついた人々の心を癒しました。石坂文学はみずみずしい文体と題材が大衆から愛され、作品の多くが繰り返しドラマ化や映画化されています。
『山と川のある町』など多くの作品の舞台になっている横手には、一九二六年に教師として赴任、十三年間を過ごしました。ここでの日々は、作家として、またその後の人間・石坂洋次郎に大きな影響を与えたといわれています。

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石坂洋次郎の業績を生原稿や遺墨、写真パネルなどで展示。記念館は当時の町家・土蔵風に作られ、彼が過ごした屋敷町のイメージを伝えています。



ふるさとの自然を愛した偉大な文人
日本の文学史に大きな足跡を残すとともに、現在でも多くのファンを持つ石川啄木と宮沢賢治。歌集『一握の砂』などで知られる歌人・石川啄木は、岩手郡日戸村(現玉山村)に生まれ、隣の渋民村(同)で育ちました。
また『銀河鉄道の夜』『風の又三郎』などの童話で知られる作家・詩人の宮沢賢治は、花巻に生まれ生涯のほとんどを過ごしました。厳しく優しく雄大な故郷の自然を愛し、文学界に大きな業績を残した二人の作品の背景や心情を知る手がかりを、岩手の自然や風景の中に今なお感じることができます。


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石川啄木の直筆書簡、日記、遺品、写真パネルなどを展示。建物の外観は、啄木がかつて理想の家を詩に託した白い洋館をイメージしてあります。

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国の重要文化財である旧第九十銀行本店本館の建物を保存活用。賢治、啄木が盛岡で過ごした青春時代を中心に紹介しています。


歌い継がれる日本の名曲の作詞者
『荒城の月』で知られる詩人・土井晩翠は、仙台県宮城郡仙台(現在の宮城県仙台市)に生まれました。全国の校歌や寮歌などに数多くの功績を残しています。旧制二高(東北大学の前身校のひとつ)教授時代に、第一詩集「天地有情」を出版、島崎藤村と並んで称されますが、滝廉太郎の作曲した「荒城の月」で、晩翠も一躍全国的に有名になりました。仙台の街を見下ろす青葉城址は、晩翠がこの詩の構想をしたといわれ、晩翠の胸像があります。

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晩翠が晩年を過ごした旧邸があり、愛用した下駄やベッド、写真、書画などが展示されています。
※仙台城跡(青葉城址)
仙台藩祖・伊達政宗公が築いた城跡



近代文学史が誇る歌人が眺めた景色
山形県南村山郡金瓶村(現・上山市)に生まれた斎藤茂吉は、精神科の医師として歌人として活躍しました。特に大正から昭和初期のアララギ派の中心歌人として近代短歌史上に重要な位置をしめ、歌論・評論・随筆にもすぐれた作品があります。
茂吉の歌碑は全国各地に建立されていますが、ふるさとである山形が一番多くその数の半分以上を占めています。 斎藤茂吉記念館は、生家に近く、東に蔵王連峰をあおぐ景勝地で、茂吉がたびたび訪れた上山市郊外のみゆき公園にあります。



蛙の詩人が生まれた自然
草野心平は、福島県上小川村(現・いわき市小川町)に生まれ、十六歳で上京するまでこの地で過ごしました。ほとんどの詩の各行末に句点を用いる独自のスタイルや、「蛙の詩人」といわれるほど生涯にわたって蛙をテーマにした詩作でも知られています。
モリアオガエルの繁殖地の平伏沼のある福島県川内村には、村人と交流を深めた心平が蔵書を寄贈した「天山文庫」があります。自然や生き物を愛した心平は、夏場のほとんどをここで過ごしました。

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常設展では、音と光を効果的に取り入れ、心平の詩の世界に五感で触れることができます。文学プラザは詩を中心とした文学研究や情報交換などの場になっています。
