とうほく唯物論 | 運命に導かれ、邂逅を果たした、ただ一度きりの物。

やじろべえと達磨に託されたお膳の意味/米沢市・吉亭(よしてい)

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輪島塗のお膳『大極上本堅地漆器』を製作したのは昭和30年代の職人、北濱清太郎氏。吉澤家には10客すべてが完全な状態で残されており、時代考証を踏まえて推測すると、和美さんが嫁ぐ日のために用意され、以後、一度も使われていないことになる。(取材協力/輪島漆器商工業組合)

城下町の織元の土蔵。

上杉謙信公を藩祖に、慶長6年(1601年)、上杉景勝公が初代藩主となり城下町の歴史を歩み始めた米沢。その後、藩財政がひっ迫していく中で立て直しを断行した9代藩主、上杉鷹山公に開発された産業のひとつが「米沢織」である。吉亭は、吉澤家として江戸時代末期から『津の国屋吉貞(よしてい)』の屋号で絹織物の織元を営んできた。現在の母屋は、大正8年(1919年)春の米沢大火で焼失した後に再建されたもので、旧吉澤邸の屋敷がそのまま使用されている。広大な敷地には、この母屋をはじめ樹齢300年を超える栗の老木が鎮座する美しい庭、土蔵など、文化庁登録の有形文化財が並ぶが、先祖から伝わる調度が収められた土蔵で、女将が当時“織元の嫁”として嫁いだ日以来の偶然の再会を果たしたのが、蒔絵や沈金で「やじろべえ」と「達磨」が加飾された輪島塗のお膳とお椀だった。

引き寄せた記憶と運命。

現在の吉亭で女将となった、吉澤和美さんの脳裏にはそれまでにも、事あるごとに夢か現か浮かんでくる、やじろべえの記憶があったという。
「数年前、息子が嫁を迎えた頃から、自分が“機屋を継ぐ主の嫁”として嫁いだ当時を回想するようになったのですが、その度にやじろべえが出てくるんです。確かに嫁いだ日のお膳に描いてあったと」。
和美さんがご縁で横浜から吉澤家に嫁いだのは25歳の時。お輿入れの準備に1年以上を掛け、100畳の大広間に米沢の名士を招いて執り行われた披露宴。しかし記憶は、その華やかな席には結びつかなかった。
「次第に、お膳は披露宴後に身内だけで行う最初の食事の記憶だったと蘇りました。当日は緊張の連続。しかもそれ以来、一度も使われることがなかったので記憶も曖昧で、忙しい日々には気づく余裕もなかった。でも、だからこそ回想を機に“やじろべえには何か意味があるはず”と考えるようになりました」。和美さんの記憶がたぐり寄せたのか、お膳が和美さんを引き寄せたのか。程なくして遂に、お互いは30数年ぶりの邂逅を遂げる。
「きっかけは昨年、母が亡くなった折に蔵の整理をしたことでした。その後、まるで呼応するかのように息子の嫁がお産のために郷里へ帰ることになり、生命の奇遇を感じていたのですが、嫁に何か“めでたもの”を贈ろうと、蔵の中から詰め物を探していた時に偶然、お膳が出てきたのです」。

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母屋や土蔵が変わらないのと反対に、手入れの行き届いた庭は四季折々の変化の年月を重ね、少しずつ景色を変えてきた。北庭には約100種の苔が生い茂っている。

和美さんが母屋でいちばん好きな場所、茶の間の囲炉裏前で。さすがは織元と感嘆する美しい着物は夏用の一重“御召(おめし)”。「着る側もそうですが、何より見た人に涼を感じてもらうことができる。日本には昔から、こんなクールビズがあったんですよ」。スペースの都合で割愛したが、物や人にまつわる数々の感動的なエピソードには枚挙に暇がない。ぜひ、この囲炉裏前で伺ってみたい。

茶の間の囲炉裏前

吉澤家の調度は51枚や41組、21客など「プラス1」の数字が伴うことが多い。1つの余分は予備とも捉えられるが、実は箱書きにもしっかりと余分が記されているため“無くさないよう大切にすべし”という先祖からの強烈な無言の教えが込められている。

引き継いでいく物と心。

脚までが被われるお膳の形のままに丁寧に包まれた和紙を解くと、中からは記憶どおりのやじろべえと、記憶にはなかった達磨が覗いた。
「見た瞬間、疑問と答えがすべて明解に結びつき、やがて涙が止まりませんでした。それは“どうしてもっと早く気づかなかったのか”という自責の念と、常に私を気にかけてくれていた亡き先代、舅への感謝の思いです」。織元に嫁ぐということは、家族や使用人、織り子たちと良好な人間関係を築き、家計も切り盛りしていくということ。これには、やじろべえのような絶妙なバランス感覚と、達磨のような七転び八起きの気構えが求められる。華やかな披露宴のお膳ではなく、これから真の意味で家族となる初めての席で供されたお膳の意味が、時を経て氷解した瞬間だった。
「嫁としての立ち居振る舞いはもちろん、これからは女性も広く意見を述べるべきだと英語などの語学勉強を勧めてくれたり、当主やお客さまだけに許された玄関を堂々と使いなさいなど、先代は当時としては先取の考え方で、私を“後継者の嫁”に育てようとしてくれていた。そのひとつひとつが、先代なりの美学に基づいたものだったんです。もしかしたらお膳は、嫁としての器量が備わった頃にやっと気づくような、謎掛けの意味もあったのかも知れませんね」。物の価値は、それと向き合う人との関係性の深さで決まる。時を経てなお美しいこのお膳には、やじろべえと達磨の他にも、調度という吉澤家の財産を託す先代の思いと、それを守っていこうとする和美さんの決意が映り込んでいる。

祝い事で赤飯などを近隣に振る舞うために用いられた、分厚く漆が塗られた箱が収まるお重には、所有者を表わす“ヤマイッカク”の商標と「吉澤主」の文字が。

宝在心

今でも親交の深い上杉家。その16代当主の筆による『宝在心』。「宝は心に在り」とは、まさに代々受け継がれた吉澤家の家訓にも重なる。

吉亭女将・吉澤和美さん

吉亭女将・吉澤和美さん
「蔵の中のものは次の代までの“預かり物”。例え家がどんなに苦しくなったとしても、欠けることなく守っていくのが女将である自分の務めです」。物の価値を決めるのは価格ではなく、それを大切に思う気持ちの度合い。女性にとって最も大切なのは“美意識”だと語る。

取材協力

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米沢牛・山懐料理 吉亭
山形県米沢市門東町1-3-46
電話:0238-23-1128
URL:http://www.yoshitei.co.jp/

吉亭が現在の「米沢牛・山懐料理」のお食事処となったのは平成元年(1989年)。最大108名までのお座敷宴会が可能。ちなみに母屋は昭和47年(1972年)の東宝映画『忍ぶ川』(熊井啓監督/栗原小巻、加藤剛出演)の撮影にも使われた。