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早池峰(はやちね)山中の養蜂場。20箱あまりの西洋ミツバチの巣箱があり、周囲はクマ除けの弱電流を流すフェンスで囲まれている。

とうほく唯物論【11月号】岩手・盛岡 養蜂家・藤原誠太さんの挑戦。

親子三代にわたる養蜂家として。

「あの木!見てくださいよ。あれがトチの木です。すごく旨い蜜が採れるんですよ。でもね年々減っちゃってる。早くなんとかしないとダメなんですよホントに。あっ、あっちの木はね…」。養蜂家・藤原誠太さんが語る言葉は限りなくミツバチの視点。しかも、まるで子供のように熱く止まらなかった。

岩手県盛岡市で藤原養蜂場を営む藤原家は明治34年(1901年)、初代の藤原誠祐氏がわずか7歳の時に、お堂の中に空き樽を仕掛けて日本蜂を捕らえ飼育を始めた時から、もう100年以上も養蜂一家としての歴史を歩んでいる。
「祖父はその後、寒さには強いが飼育の難しい、また集蜜力の弱い日本ミツバチから、高い集蜜力をもつ西洋ミツバチに切り替えて、東北初の専業養蜂家になったんです」そう語る藤原誠太さんは3代目だ。
その後も誠祐氏は長年、東北という寒冷地に耐えられるよう西洋ミツバチの品種改良に取組み、耐寒・対病性を備えた『カーニオ・イタリアン種』の作出に成功する一方、冷害に見舞われた農民の貧困対策の副業として、蓄積した技術を惜しみなく伝えながら養蜂の普及にも力を注いでいく。そして岩手県養蜂協会の初代会長、岩手県養蜂組合の初代組合長などを歴任し、昭和54年(1979年)には勲5等瑞宝章を授与。95歳で亡くなるまでその生涯を養蜂に捧げた。
「私は幼い頃から生き物や草花など自然が好きだったので、祖父がよく山の中の養蜂場に連れていってくれました。さすがに手伝いはさせられませんでしたが、少し離れたところで祖父の働く姿を見ていると手招きで呼ばれて“これはトチの花の蜜だぞ”なんて舐めさせてもらい“なんて美味しいんだろう”と(笑)。その時に自然の中にはいいことがあると、原体験的に頭に染みついたのかもしれません。あとで考えれば、後継者づくりのための祖父なりの作戦ではなかったかと思うのですが(笑)」。
こうして“養蜂のパイオニア”である祖父・誠祐氏に可愛がられて順調に育った誠太さんだったが、意外な問題もあった。
「実はミツバチに刺されると、全身が火ぶくれ状態になって呼吸困難を起こすやっかいなアレルギー体質だったんです。成長に伴って症状も次第にひどくなり、刺されれば失神するほどになってしまって。医者からは“本当に命の危険があるからミツバチには近づかないように”とまで言われました」。
しかし当時はまだ中学生だったこともあり、誠太さんは養蜂家になることは考えておらず、あまり気にしていなかったという。

それではなぜ、誠太さんは養蜂家を目指すことになったのだろうか。

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ミツバチは天敵のクマを連想させる“黒っぽい服装”でなければ襲ってくることは、まずないので、作業する際も“素手”が多い。

規則正しく正六角形が並んだ巣。建築などに用いられるハニカム構造は“蜂の巣”を倣ってできたもの。上下の強度が高い構造体だ。最少源の材料で最大限の強度を出せる。

「西洋ミツバチは0.01ppmの農薬で半減します。巣に戻れても他のハチと口移しを行うので、やがて巣箱全体が汚染されてほぼ全滅します」。

採蜜したり巣の状態を確認する目的で、巣箱を開けて“巣枠”を取り出す際には、燻煙器で煙をかけてミツバチをおとなしくさせる。

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