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芸人気取りで駆け抜けた昭和。

今なおスウィングし続ける北村大沢楽隊宮城・石巻市

とうほく唯物論【2月号】

北村大沢楽隊の現在の楽長の渡辺さんは、成長過程で楽隊の活動を憧れのまなざしで見つめながら、二十歳を過ぎた昭和21年(1946年)に、いよいよ入隊する。
「もともと音楽が好きで、16,7歳の頃には中古でバイオリンも手に入れたんですが、楽器をやるなんて当時は所詮、稼ぎには結びつかない道楽でしたから、親からは“そんなもん買ってどうする”と怒られました。でも催し物がある度に見ていた楽長が吹くクラリネットに憧れて、いつかは自分も、そう思っていたんですよ」。

楽隊は、前述のように村や地域で行われる催し物などの際に演奏するのが基本。いわば“おらが村の楽隊”であり、普段のメンバーは農業などの家業に従事している。しかし当時は、ピカピカの西洋楽器を揃えた楽隊の存在自体が珍しく、特に農作業が一段落する秋に行われる運動会などには、近隣の町村からも“出演要請”が相次いだ。
「例えば、ある小学校の運動会に呼ばれて演奏している合間にも“ちょっと…”なんて、見学に来たほかの地域の関係者に出演をお願いされるわけです。中には、私らの日程の空きを確認したうえで、運動会の日取りを決めていたところもあった。こっちは演奏する場があるだけで嬉しいから、どこへでも自転車で出かけていきました」。
やがて祭りや催事など会場を盛り上げる生演奏の担い手として、一年を通じ“引っ張りだこ”となった楽隊。その後、活動が最盛期を迎えたのは昭和30年代から40年代にかけて。それまでの地元催事での演奏に加えて“ちんどん屋”としても各地を飛び回った。時にアヤシげな商品の宣伝などもあったが、当の本人たちはまったく意に介さず、あくまでも飄々とジンタの演奏に専念。どこまでも自然体で無理せず、ことの成りゆきに任せる具合は今も変わっていない。
「ちゃんと宣伝社と契約して、本当にいろんなところに行きました。いい旅館に泊めてもらって各地の名産をご馳走になって、おまけにギャラまでもらって好きな演奏ができるわけですから、そりゃよかった(笑)。多い年は、一年のうち3分の2くらい家を空けたことがありますね。もう芸人気取りですよ(笑)」。

メンバーは必ず地元に残る“長男”ばかり。しかも楽隊員という以前に、そもそも隣近所で育った幼なじみの関係だけに、どこへ行っても何をしても息が合う間柄だったという。
「でも、ずっとここで育ってきたからこそ、決して忘れられない辛い思い出もあるんです」。

メンバーたちの脳裏に焼き付いている光景とは。

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楽隊の主な演奏活動の場となる、運動会でのひとコマ。地元の名士などが招かれる来賓席と同等のテントが設けられた中、場面に合わせて『徒競走音頭』などの定番曲が淡々と奏でられる。

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