「初めて井上ひさし先生のお宅に伺った時、実は本が多いという印象はあまりなかったんです。ところが、いざ本を運ぼうと箱詰め作業に取りかかると、これがいつまで経っても延々と終わらない。“向こうにも部屋があった”“物置にも本があった”と。つまり部屋があれば当然のこと、そこへと至る廊下や通路にまで必ず大量の本があったんですよ。なにせ先生の寝室にも、布団を取り囲むように本が積み上がっていましたから(笑)」。そう語るのは『遅筆堂文庫』の誕生から現在までに深く関わっている阿部孝夫さんだ。
井上ひさし氏がかつて“一個人”で所有していた蔵書。それを一堂に集めた遅筆堂文庫は、氏の出身地である山形県南部の東置賜郡川西町の川西町フレンドリープラザの中にある。
「文庫は昭和62年(1987年)に、当時の川西町農村環境改善センターの2階に運ばれた7万冊の本から始まりました。その後、町立図書館と劇場が併設されたこのプラザの開館とともに移転し、現在の蔵書は雑誌を含めると20万冊以上になっています。先生からは絶えず本が送られてくるので、今も増え続けているんです(笑)」。
類い稀な愛読家としても知られる井上ひさし氏は、ひとつの題材をまとめるために膨大な資料と向き合い、その背景を凝縮しながら思考し、より正確を期す作業に時間を費やすため原稿がしばしば締切りに間に合わない。それが“遅筆堂”という文庫名の由来だ。
「そのためこの文庫の分類は、先生の作家としての人生を表すものから、執筆した作品ごとの参考文献、エスペラント語などの言語、そしてこまつ座関係のものまで独自のカテゴリーで構成されています」。
例えば分類“E”は文学賞選考本となっており、直木三十五賞や川端康成文学賞などの選考委員を務める氏が読んだその候補作から、同じ作者の他の作品なども揃えられている。つまり氏は、それらもすべて読んでいるのだ。
「最大の特徴は、赤線のマーカーや付箋のメモをそのままの状態で残していること。先生の体温が伝わってくるというか、本が“生きている”という感じがします」。 |