井上ひさしの蔵書が収まった「遅筆堂文庫」とは/山形・川西町 |
とうほく唯物論【3月号】 |
故郷が生んだ大作家に寄贈された蔵書を開架できる図書館。この『遅筆堂文庫』は、そもそもなぜ誕生したのだろうか。
「昭和52年(1977年)に、かつて高校時代の新聞部で一緒だった遠藤(征広氏・現こまつ座営業部長)や大川原(幸広氏・故人)が中心となって『先知らぬこの道を』というミニコミ誌を創刊したんですが、そこに私も原稿を書いていたんです。みんな作家になりたいというより、まあ欲求不満のはけ口に書いてたわけでしたが(笑)。それで活動をしていくうちに遠藤が“井上先生に地元で講演してもらおう”と企画して実現し、先生と交流が始まったことがきっかけでした」。
井上ひさし氏自身、著書の中などで幼い頃から図書館という存在に対して並々ならぬ思いを抱いていたことを記している。それと呼応するように、そばに置いておく必要はあるものの積み重ねられて“死んでいく”本より、多くの人目に触れて“生きる”開架へという理想が合致したわけだ。その結果、農改センターでの『遅筆堂文庫』の立ち上げを経て現在のフレンドリープラザを造ることになった際には、当然のように氏の戯曲だけを上演する、こまつ座の公演の開催という“ハコづくり”の前提も含まれた。
「面白くなりそうだと感じました。まず第一に先生の蔵書が他の場所に行かなくて良かったという思いもあったし、公演ができるホールがあれば、たぶんこの川西町にいてもずっと先生の芝居が観れるだろうと(笑)」。
以来、こまつ座の公演はもちろん、井上ひさし氏が校長となり開校する『生活者大学校』など、井上ワールドとも言うべき幅広い活動を行う氏の貴重な故郷の拠点となっている。すべてが氏と現在進行形でつながっている印象だ。
「今でも先生から“あの本を”と要望されれば送り、終わると戻ってくる。そういう行き来からも、本は生き続けているんだという実感が湧いてきます」。 |