藤井 安正 (Yasutaka Fujii)
大湯環状列石のある風景。現在も太陽の動きを感じることができます。
縄文の人びとは、山野に獣を追い求め、海で魚介類を捕り、山菜や木の実を調理し保存食にして生活を支えていました。
食べることが安定すると人びとは集落をつくり、村としての営みを始めます。村の暮らしから生まれたさまざまなことは、1万年もの時と季節をかけて縄文の人びとの思想、世界観を形成していきました。
十和田湖から大湯温泉郷を通って、鹿角へと入る県道の両側に約4000年から3500年前の縄文後期の遺跡、ストーンサークルがあります。私たちは、この場所から縄文人のこころの宇宙へ招かれるのです。

このストーンサークルは、径または辺の長さがいずれも1~2メートルもある大きな石を使い、特別な意味づけによって配石されたものです。遺構は二重の環状(輪っか状)に並び、100以上を数えます。
「大湯環状列石は二つあります。一つは野中堂環状列石といい、環状の径は42メートル。もう一つの万座環状列石は径48メートル。非常に大規模な遺跡で、二つの遺構は約90メートルの距離を置いて東西に分かれています。そしてどちらにも日時計状組石が一基造られています」。
大湯ストーンサークル館の班長、藤井安正さんは、好奇心を掻きたてるように話を続けました。
「ここは、集落跡ではありません。今から51年前の昭和31年に国特別史跡に指定されましたが、その後二回に渡り追加指定され、現在では約25万平方メートルの範囲が指定されています。縄文人は25万平方メートルもの場所の使い方を設定していたのです」と、縄文時代の史跡としては、国内最大級といわれるその全体像に迫りました。



環状列石には組石の配列によって、村の集まり、家族の集まりなど区別があることもわかってきました。組石の密集具合、出入り口のような配石なども二つの環状列石に見ることができます。

遺構からは数多くの土器、石器、土偶が出土し、花弁状の文様や、S字を横に連続して施文したものは特に「大湯式土器」と呼ばれる。