小牧野遺跡の上空からの眺め。

青森市の南部郊外、荒川と入内川に挟まれた台地にあるのが約4000年前の小牧野遺跡です。特徴は何といっても環状列石です。三重の輪になっており、外側から35メートル、29メートル、2.5メートルの大きさです。中央帯は重さ500キロの巨石を据え、周囲に2~30センチの棒状の石を配しています。外側は楕円形の石と扁平な石を規則的に組み合わせた形で小牧野式と呼ばれます。環状列石は、祭祀の場または葬送の場として儀礼的な行為が行われたと考えられていますが、縄文人はこの形にどのような思いを込めていたのでしょうか。出土品は土器や土偶の他、圧倒的に多いのは三角形岩版です。環状列石東側の墓地やゴミ捨て場から出ているため、これも祭祀などに使われたと考えられています。これらの遺物は、縄文時遊館で展示しています。

小牧野遺跡遠景。左下部に環状列石が見える。

つがる市木造にある亀ヶ岡遺跡は縄文晩期、約3000年前から栄えた亀ヶ岡文化の由来となった遺跡。遮光器土偶が出土したことで有名です。デフォルメされた体形に渦巻きの文様が施され、目の部分は大きなサングラスをかけているように見えます。あまりに特異な姿のため、宇宙人を模ったものではないかという説にも肯けるほど。亀ヶ岡土器の特徴は抽象的な文様と漆やベンガラによる赤色の彩色で、鉢形、つぼ型、注口などの種類があります。竹や樹皮を編んで麻布を貼り付けた皿に漆を塗った藍胎漆器は、縄文の高度な漆技術を示したものです。遺跡現地には土偶のモニュメントがあるだけですが、遺物は復元竪穴住居などとともに、つがる市縄文住居展示資料館カルコで見ることができます。
八戸市にある是川遺跡は、中居遺跡、一王子遺跡、堀田遺跡の総称です。中居遺跡は亀ヶ岡文化に属し、亀ヶ岡遺跡と同様、遮光器土偶や土器が出土しています。また、木の器や赤漆を塗った籠、櫛や腕輪、耳飾りなどの装身具、紐や編んだ布などが腐らずに出土し、縄文人の生活を想像する貴重な手がかりとなっています。これらの遺物は八戸縄文学習館で展示しています。亀ヶ岡文化は縄文時代終焉の時期に花開いた華麗な文化でした。

八戸市縄文学習館の敷地内に復元された竪穴住居。


是川遺跡の漆塗り装飾品。腕輪、櫛、耳飾りなど、精巧な漆塗りの技術で作られている。


亀ヶ岡遺跡の遮光器土偶。高さ約37cmで中は空洞になっている。完全な状態で発見されることは稀で、足や腕などが欠損したり、切断されていることが多い。豊穣を祈願する儀式に使用されたのではないかと考えられている。


是川遺跡の土器群。壷型、皿型、水差型、香炉型など種類が多く、洗練された形が美しい。赤く彩色されたものは漆塗りで、ベンガラを混ぜて塗った丹漆塗りの土器も出土。その技法は基本的に現代も同じ。造形や文様、塗りの技術が3000年前すでに確立していたことを示している。Japanとして欧米の人々に賛美される漆工芸のルーツはここにあった。