吉村さんの店は「こめや」という名前ですが、これは昔からの屋号でもあります。宿場町として開かれた江戸時代、名字は許されていないため、それぞれに家は屋号を名乗っていました。大内宿の一軒一軒は、「扇屋」「大和屋」「みなと屋」など屋号を持っており、集落内では今でも“○○屋の息子”といった呼び方をしています。

吉村 徳男(Norio Yoshimura)

昭和26年、大内宿生まれ。10年前に下郷町役場を中途退職し、茅葺き職 人に弟子入り。現在、大内宿結いの会顧問、大内宿保存会会長。

日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎とし て親しまれている会津鉄道・湯野上 温泉駅。

下郷町にある大内宿は、日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎がある会津鉄道「湯野上温泉」駅から6キロメートルほど山中に入ったところにあります。この大内を通る街道は会津若松と下野の今市(現・日光市)とを結ぶもので、下野街道、会津西街道、あるいは南山通りなどと呼ばれ、中世以来、藩主や軍馬の通行に利用されていました。 江戸時代に入ってから、会津藩はこの街道を江戸への最短距離として整備し、その宿場のひとつとして大内宿を設けたのでした。大内宿は若松城下から数えて三番目の宿場。先祖代々から大内宿に住み、大内宿保存会の会長を務める吉村さんによれば「ここは半農半宿で、農業をしながら参勤交代の折、殿様に昼食を出したり、旅人の宿を提供したり、駄賃を稼いだりして生計を立てていた」とのこと。

下郷町にある大内宿は、日本で唯一の茅葺き屋根の駅舎がある会津鉄道「湯野上温泉」駅から6キロメートルほど山中に入ったところにあります。この大内を通る街道は会津若松と下野の今市(現・日光市)とを結ぶもので、下野街道、会津西街道、あるいは南山通りなどと呼ばれ、中世以来、藩主や軍馬の通行に利用されていました。 江戸時代に入ってから、会津藩はこの街道を江戸への最短距離として整備し、その宿場のひとつとして大内宿を設けたのでした。大内宿は若松城下から数えて三番目の宿場。先祖代々から大内宿に住み、大内宿保存会の会長を務める吉村さんによれば「ここは半農半宿で、農業をしながら参勤交代の折、殿様に昼食を出したり、旅人の宿を提供したり、駄賃を稼いだりして生計を立てていた」とのこと。

沿道沿いに流れる用水は、山からの 自然水を取り入れた生活用水として 利用されてきた。江戸時代から現在 まで大内宿の生活を支えている。