




大内宿が脚光を浴びるのは昭和44年のこと。その二年前に、武蔵野美術大学で建築を学んでいた学生が会津茅手(茅葺き職人)の調査に訪れた際、茅葺きの集落のたたずまいに圧倒され、文化庁に保存の必要性を訴えたのがきっかけです。このことを新聞の全国版やテレビが取り上げたことで保存の機運が高まり、先進地の長野県妻籠宿の視察などを行いました。しかし「文化財に指定されると様々な制限が加えられ、生活するのが難しい」という意見が多く、保存の動きははかばかしくありませんでした。その後、文化財保護法の改正や住民の意識の変化などがあって、昭和54年に国の重要伝統的建造物保存地区に選定されました。
「観光客の方が来るようになって、集落は観光で生計を立てられるようになりましたね。それで一時トタン屋根になっていたのを茅葺きにし、今までに九軒を戻しました」。こう語る吉村さんは、食堂「こめや」を経営するかたわら、茅葺き職人として集落のみならず関東方面まで足を延ばして屋根を葺いています。

江戸時代の宿場町の面影を色濃く残す大内宿の町並みは、訪れる人に郷愁を抱かせ、ゆったりとした時間の流れを感じさせます。そうした感覚をもたらしてくれるのが、茅葺き屋根の景観。吉村さんたちは、代々続いた茅葺きをよその職人に頼むのではなく、「自分たちの手で残していくことが大切」と考え、その技術を習得する一方で、集落内に屋根葺き練習場を作り、若い世代へと伝えています。
「屋根を葺くときは職人10人ほどに、集落から手伝いが30人ぐらい。足場の撤収も含めて一週間ぐらいかかります」
屋根葺きは集落の共同作業。材料となる茅も近くの山から集落全体で協力して刈り取っており、屋根葺きに関わる作業風景も含めて大内宿が次代に残すべき景観といえます。
また、建物だけでなく大内宿の暮らしを守ろうと、住民有志で「結いの会」を結成。年中行事を復活させたり、コミュニティを維持するための活動も行っており、そのひとつとして、大内宿を流れる用水から水を汲み、その水で沸かしたお茶を飲んで新年を始めるという正月行事の若水汲みを甦らせています。

「以前、半夏まつりを観光客が来やすいように日曜日にしようという意見がありました。でも、それはおかしい。高倉神社の祭りであり、観光客のための祭りではない」と語る吉村さん。大内宿に暮らす自分たちの生活が優先であり、現在でも、正月には神棚に餅を供え、節分の時はイワシの頭を豆ガラに刺して豆まきをし、節句になると軒にショウブとヨモギをつるし……と、昔ながらの年中行事を行っているとのこと。
かつては、田植えや稲刈りといった作業で手間の貸し借りをやるなど、農村地帯のどこにも見られた助け合いの「結い」。そうした共同体の精神が、大内宿にはしっかりと息づき、それが風景となって目の前に広がっています。
歴史的な景観の保存をしながら、暮らしと観光との調和をめざしている大内宿の人々。その根底には、自分たちが生まれ育った土地に対する誇りと愛情があるようです。日々の営みの中で、小さな孫の世話をするお年寄りとその脇を歩く観光客の姿に、なんの違和感を覚えることなく、清冽な用水は心地よい水音をたてて流れていました。ここでは、建物だけでなく、受け継がれてきた伝統や文化も貴重な財産となっています。