中尊寺金色堂。1124年の造営で中尊寺創建当初の唯一の遺構。堂全体に、まばゆいばかりの金を始め、白く光る夜光貝の螺鈿細工、透かし彫りの金具、漆の蒔絵が施されている。仏像は、本尊の阿弥陀如来、その前に蓮を持つ観音菩薩・勢至菩薩が左右に立ち、後ろには地蔵菩薩が並ぶ。まさに光あふれる浄土を現している。須弥壇の中には、清衡、基衡、秀衡の遺体と四代泰衡の首級が納められている。

中尊寺ハス。金色堂須弥壇内に安置されていた四代泰衡の首桶から発見されたハスの種が1998年開花に成功した。800年の時を経て、初夏に美しい姿を見せている。

秀衡は1187年に亡くなりますが、その時源義経が青年期を過ごした平泉に再び身を寄せていました。平氏との合戦に貢献したにもかかわらず兄の源頼朝に疎まれたためです。秀衡は、義経を大将として頼朝を迎え討てと遺言しましたが、跡を継いだ泰衡は頼朝の圧力に抗し切れず、義経を襲って自害に追い込みます。それに乗じて頼朝は平泉を討伐し、1189年藤原氏は滅亡しました。
その後、頼朝は平泉の寺院群の荘厳さに感服し、中尊寺の二階大堂、毛越寺金堂円隆寺の壁画を模して鎌倉に永福寺二階堂を建立、鎌倉幕府は1288年に金色堂を守る覆堂を造営しました。しかし平泉は衰退を避けられず、栄華を誇った建物の多くが焼失、江戸時代には現在とほぼ同じ遺跡の状態となりました。

さて、現在の平泉を歩いてみましょう。主要な遺跡を巡ると5~6キロの道のりです。レンタサイクルもあります。JR平泉駅から西へ行くと毛越寺です。庭園の大きな池から伽藍跡を眺めると、往時の壮麗さが想像の中に甦ってきます。隣には基衡夫人が建立した観自在王院跡が公園となっています。北の中尊寺に向かう途中に平泉郷土館があり、遺跡から発掘された陶磁器や装飾品などを見ることができます。また平泉文化史館は、資料や絵図の他、毛越寺、無量光院、二階大堂などの復元模型を展示しています。
中尊寺に着いて、月見坂を登ります。金色堂は荘厳な輝きに満ちていました。力の誇示ではなく、永遠に変わらない光を放つ金が浄土を表現するのにふさわしいと分かります。讃衡蔵で展示されている仏像、仏具、経典なども是非見ておきたいもの。今度は線路を越え、義経最期の地と伝えられる高館へ。北上川に面した小山で、対岸の束稲山を一望できる場所です。南へ進むと、無量光院跡、政庁跡とされる柳之御所遺跡と資料館があります。草原に立ってゆっくりと往時を偲びたいものです。
佐々木さんは平泉の歩き方をこう話します。「建物は無くなっていても、景観は長い歴史をはらんでいます。 自然に聴きながら、自分と対話しながら歩いてほしいですね。自分の道を探すことが旅ですから」。



金色堂新覆堂。金色堂はこの覆堂内のガラスケースに収められ、24時間体制で温度・湿度が調整されている。


観自在王院跡。二代基衡の夫人が建立したといわれ、大阿弥陀堂と小阿弥陀堂があった。今も残る舞鶴が池は、平安時代の「作庭記」の作法通りに作られたもの。現在は自由に入れる公園となっている。


柳之御所遺跡。藤原氏の政庁「平泉館」の可能性が高い。大型の建物や堀、道路などの遺構があり、中国産の青白磁の椀や壷などが出土している。


高館からの眺望。東側に北上川と束稲山が望める。高館は源義経が三代秀衡の庇護を受けて住み、最期の地と伝えられる所。