


三山を囲むように流れ、酒田で日本海にそそぐ大河、最上川もまた山岳信仰と深く結びついた地域庶民の生活を支えました。
源流は福島県境の吾妻山系に生まれ、本・支流をあわせるとその流域面積は山形県土の約80%をしめる母なる河。日本有数の米どころ庄内平野と内陸の盆地群を潤し、沿川に豊かな農村集落を育んできました。
そして河口にある酒田港からは日本全国からのさまざまな物資や文化が河を上り庶民に届いたのです。上方からは茶、塩、砂糖、海産物や着物、布、木綿などの他、雛人形や舞楽などの中央の文化が。そして流域の米どころからは年貢米が集まり、名産の紅花も北前船に乗り都や上方で大きな商いとなって、庶民の生活を潤したのです。

最上峡(古口から清川までの約14キロメートルの間)は、洋々と水を湛えた最上川の景観を十分に堪能できるライン。清川には藩政時代に庄内酒井藩が関所を設けて水陸の交通を見張った庄内五関所の一つがありました。江戸元禄2年(1689年)に芭蕉の上陸した地としても知られています。
最上川を有名にした
五月雨を集めてはやし 最上川
の句碑が関所あとに立てられています。

