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美しいやキレイなどの印象を超越した魅力が力強く映り込んだりんご。「何をやっても実がならずに葉っぱが落ちていった時期にはさ、1個もならなくていいから、とにかく“枯れないでくれ”って祈ったもんですよ」。

現在、りんご畑には雑草が生い茂り、四季を通じてそこに咲き乱れる花々には、自然界と同じように蜂が集まってくる当たり前の光景を見ることができる。だからこそ、最初にりんごの花が咲いた時の感動は、今でも鮮明な記憶として脳裏に焼き付いている。「“おい木村、畑に行ってみろ”って言われて駆けつけて、りんごの花が咲いてるのを見た瞬間はやっぱりよ、ずっと忘れられないね。1本1本の木と日本酒で乾杯したけど、自分ばっかり先に酔っぱらっちゃってさ(笑)」。

死を覚悟した極限状態の岩木山で、無農薬栽培への強い光明と勇気を得た木村さんは早速、自分のりんご畑での実践に取り組んでいく。それはまさに“畑の中に大自然をつくる”ことにも似た作業だった。

「例えばトマトだったら、もともとは乾燥地帯の作物だから畝を高くしてやって風通しを良くするとかさ、ピーマンなら高温多湿がいいから低い畝で作るとかさ、作物を育てるための方法とか答えは知ってたもんで、地面から上のことはよく見てたんだけど、土ん中はまったく見てなかったんだよね。雑草も“りんごのじゃましてる”って思ってたしさ。だから今度は、りんごの木をどうこうという前にまず、山の自然環境を再現するために畑の雑草を伸び放題にして、とにかくあの“やわらかい土”を作ろうと考えたんです。病害虫駆除のために撒く酢も、1本1本、手散布にしてね」。

通常、りんご畑では効率良く短時間で農薬を散布するために、スプレーヤーという大型の噴霧車を使う。木村さんの場合、散布するのは米やトウモロコシを発酵させた酢だが、手散布で数日かかる作業も、スプレーヤーならわずか数時間で終えることができる。反面、重機であるがゆえに通った地面は踏み固められ、雑草もなぎ倒されることになる。

「やっぱりよ、自然の中に機械は入って行かないわけだから、土もやわらかいし、地面の下では根っこが伸び伸び張ったり、いろんな微生物なんかも生息してバランスが保たれているはずだと思うんですよね。その方が絶対に土が喜ぶし、りんごの木も喜ぶってさ。だいたい、効率良くなんて考えは人間の勝手な都合でしょ。無心になって作業を続けるうち、いかに自分が今まで“育ててやってる”って上から見下ろす傲慢な考えだったか知らされてね。やっぱりよ、りんごの立場で考えないと。主役はりんごなんですよ」。

「ダメだった頃はさ、秋になると“もう来年はやめよう”と思うんだけど、冬を超えて雪解けすると“もう一年だけやろう”って気になるんだよね。女房は“続けましょう”と応えてくれた記憶はないんだけどね(笑)」。

 

無農薬栽培に切り替えてから8年。こうして1986年に木村さんの畑には、たった2つの“奇跡のりんご”が実り、翌春には畑一面に秋の収穫を約束する花が咲き誇った。

「あんだけよ、りんごの花を美しいと思った時はないね。うれしかったし“おまえもよく頑張ったな”って、りんごの木に褒めてもらって、認めてもらったようで涙が止まらなかった。だから一人で、一升瓶のお酒を手に“ありがとう”って声を掛けながら、畑の全部の木の根元にお酒をかけて回って、一緒に乾杯したんですよ」。

収穫できなかった8年間、皮肉なことにりんごの価格は高騰していたという。「周りから“かまど消し”って言われてさ。こっちの言葉で、かまどの火が消えると家が滅びるって意味なんだけどさ(笑)。でもね、仮に2年くらいで無農薬がうまくいってたらさ、今でもりんごに対して傲慢な姿勢だったような気がするのね」。

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