ホーム > 環の肖像 > TOP > Page 4

1 | 2 | 3 | 4
 

取材の間、深刻な話であっても途中で“ガハハ”と明るい笑顔を見せてくれた木村さん。「自分も農家だからさ、収穫できない辛さはよくわかるんだよね。要は取り組む姿勢に“心”があるかどうかってことじゃないかな」。

りんご畑の雑草は年に2回刈り取る。「春はさ、直射日光を地面に当てるためね。それでりんごの木が春を知って実をつけようとするわけ。秋は逆に、刈って木の根元に涼しい空気を入れてあげるのね。それでりんごの木は収穫のために葉を散らし、実に味(甘味)をつけようとするんです」。

“奇跡のりんご”。木村さんが命を懸けて無農薬栽培に取り組んできた努力が結実するまでの8年間は、りんご自体はもちろん、土壌や病害虫などの専門的な知識を独学で習得し、またそれに基づいた様々な実験など、万策を講じる日々が重ねられていった。特に害虫に関して、木村さんはとにかく“よく見て”観察したと言う。

「畑に寝転がって半日以上、食事もせずに下から葉っぱの裏側を見ていると、害虫がいて“このやろう”と思うんだけど(笑)、今度は違う虫がやって来てその害虫を食べたりする。そうすると、あれが益虫なんだなってわかったり。あとな、りんごの木にこの卵が付くと、最初は保護色だったのが白く変色してきたら数日後にはふ化して害虫が大量発生するから、急いで全部取らなくちゃとか。でも、土づくりから始めて5~6年前から、害虫がほとんどいなくなってさ。益虫とのバランスとか畑の環境が、やっと自然界と同じようになったんだと喜びましたよ」。

こうして津軽人の“じょっぱり(意地っ張り)”の気概をもって、今まで誰も挑まなかった無農薬栽培という奇跡のりんご作りを独自に確立した木村さんは、自らの職業を“りんご手伝い業”だと言って笑う。

「やっぱりよ、りんごの木になったつもりで“どうされたいのか”を一生懸命考えることだね。基本は育てないこと。自生するりんごの木は自分の力で育っているわけだから、それを手伝うだけなんですよ。その代わり収穫のために年2回、春と秋には下草を刈ります。これでりんごの木は季節を知って、実をつけようとするわけ」。

畑全体はもちろん、木も害虫も、木村さんはじっくりと見て回る。「よく言うのね。“オレの目が農薬だ”ってさ(笑)。でも本当は答えがわからないないから、答えを知りたいから、とにかく見るしかなかったのね」。

現在、木村さんの無農薬栽培に習おうと、りんご畑には全国から行政団体や農業を営む有志グループなどが頻繁に視察に訪れている。その中でも、お隣の韓国は国策として無農薬栽培を奨励する方向にあるといい、定期的な交流も盛んだ。また、木村さんに弟子入りした後進の指導のために各地を飛び回り、講演に招かれたりすることも多い。しかし木村さんは訪れた先で、りんごの話は一切しないという。

「ほとんどがさ、野菜と米づくりの話。だってりんごはさ、ずっと津軽が一番の産地であってほしいわけ。自分だって生まれ育った故郷だしね。だから津軽のりんごを守りたいってことでさ、よそでは話さないんです。ただね、苦しんだ8年を含め、30年あまりで培ってきた技術や知識は、聞かれれば何でも教えますよ。でも無理は言わない。だって、収穫できなかった時の辛さが同じ農家としてわかるから。どっちにしても取り組む姿勢に“心”がないとダメね。自然界から見れば、人間は新参者で何にも偉くない。そういう謙虚な気持ちになった時、かつての私のように、やるべきこととか、いろんなことが見えてくるんだと思いますよ」。

 

1986年、無農薬栽培に取り組んでから8年目に、最初に実をつけた“記念樹”とともに。「やっぱりよ、りんご作りはこれからも津軽が一番であってほしいわけさ。無農薬に取り組んでから離れていった仲間たちも多いけど、本音を言えば、また一緒にみんなで頑張っていきたいのさ、りんご作りをね。あっ自分は“りんご手伝い業”だけどさ(笑)」。

■取材協力

木村興農社

木村秋則氏

■参考文献

『プロフェッショナル 仕事の流儀12』(NHK出版)

『PHP』2007年6月号(PHP研究所)

1 | 2 | 3 | 4