写真のりんごは2年前に収穫されたもの。無農薬栽培のりんごは腐るのではなく、自然界の植物と同じく枯れていく。さらに経年すると、最後はドライフルーツのようになるが、それでもりんごの香りを放つという。 |
日本一のりんご生産量を誇る青森県弘前市に、紅玉やふじ、つがるといった品種ではなく“奇跡の”と形容されるりんごがある。それが、木村秋則さんが育てた無農薬栽培のりんごたちだ。 りんごは収穫後、一部が地元や首都圏のレストランに卸され、また長年つきあいがある企業により、インターネット上で高い競争率の抽選を経て販売もされている。しかし、そのほとんどは木村さんが個人的に売買している。つまり、この希少なりんごを口にすることもまた“奇跡”と言えるのだ。木村さんがこのりんごを生み出すまでには、どんな物語があったのだろうか。 「女房の実家がりんご農家だったもんで、婿養子に入って家業を継ぐことになったんですよ。当初、目指していたのはアメリカのような“大規模農法”ね。格好良く大きなトラクターに乗って農薬と化学肥料をじゃんじゃん使いながら、効率良く生産性を上げていくヤツ(笑)。でも、そのうち農薬を浴びながらの作業のせいで体調に異変が生じてきてさ。皮膚がかぶれて、時には水ぶくれになったり。特に女房はひどかったね」。 |
木村さんのりんご畑は約2.6ha。そこに7品種700本のりんごの木がある。大型機械を駆使する大規模農法と決別してからは、当然のように畑の中を歩き回ることに。足の裏から伝わってくる土の感触を確かめながら、今日も一歩ずつ歩いていく。 |
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話が深刻な内容にも関わらず、屈託のない笑顔で時折“ガハハ”と大笑いを交えながら話す木村さんからは、苦労の微塵も感じ取ることができない。どちらかと言えば、ただ真面目に一心不乱に、しかし頑固に大地に向かう“農業の人”そのものといった印象だ。ところが話を伺ううち、この奇跡への壮絶な軌跡を聞かされることになる。 |
見事に赤く実ったりんご。120年続いていると言われるりんご栽培では、このような収穫を得るために“農薬”が必須であり常識とされてきた。それを覆す挑戦の道をんだ木村さんには、その後、試練の年月が訪れることになる。 |
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木村さんを無農薬栽培へと導いた福岡正信著の『自然農法』。「そりゃすがるような思いで何十回読んだかわからないくらい読みましたよ」。なお、木村さんが所有していた同書籍は知人に貸した後、その所在が不明になっている。 |
さて、りんごは本来、中央アジアやヨーロッパの山岳地帯など亜寒帯が原産のため、高温多湿の日本には合わない。それは北の地の青森でも同じで、最大の課題となる病害虫を駆除して確実に収穫を得るための農薬散布は、りんご農家にとって言わば死活に関わる“常識”だった。家族に農薬の被害が出てきて、今後どうするべきかと模索する中、木村さんは運命の書『自然農法』(福岡正信著)と出合う。 「年に10数回だった農薬散布を5回に、翌年は3回、次は1回と減農薬にしていったんです。結果はまずまずだったのね。回数は減らしたけど農薬を散布してるわけだし、土の中などにまだ残っていた農薬が効いたんでしょうね。そのうち、せっかくここまできたんだから、本のように“無農薬でやってやろう”と決心したんです」。 奇跡のりんごとはつまり、りんご作りでは常識である農薬散布、そして肥料すらを一切与えない、無農薬栽培で収穫されたりんごのこと。しかし、1978年にこの大英断に踏みきった木村さんにはその後、厳しく長い試練の歳月が待っていた。 |

無農薬でりんごを育ている木村さんのりんご畑では、
大自然が再現されています。
この畑で見かけた自然界の様子をご覧ください。
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